こんにちは、寅吉です。
「世間の目が気になって、いつも無難な選択をしてしまう」
そんな葛藤を経験したことがありませんか?
多くの人はこれを「自分が弱いから」だと思いがちです。
でも実際は、そうではありません。
あなたを止めているのは、現実の誰かではなく、頭の中で作られた「世間」という幻です。
この記事では、世間の目に怯える心理や、従い続けることで失うものを解説します。
世間の目は脳内でつくられた幻

「世間の目が怖い」と言うと、まるでどこかに巨大な監視者がいるように感じますよね。
でも実際に、その“世間”と直接話したことがある人はいないはずです。
- 「なんとなく」
- 「空気的に」
- 「普通は」
このような曖昧な概念を、世間の目と認識してるかと思います。
でもそれって、頭のなかで合成されたイメージにすぎないんですよ。
親、上司、同級生、SNSの誰か。
それぞれの価値観や声を一つにまとめて「こう思われたら終わりだ」という物語を作ってしまう。
結果として、何も起きていないのに怯え、身動きが取れなくなってしまうんです。
世間の目は、現実に存在する敵ではありません。
思考の中で再生され続ける“想像の産物”です。
大学中退ヒキニート時代は、しょっちゅう実在しない世間の目に怯えていたのを今でも覚えています。
世間の目に従うと損する仕組み

世間の目に従って生きると、たしかにトラブルは減ります。
- 叩かれにくい
- 浮きにくい
- 普通の人とみられる
でも、その裏で失われていくものがあります。
それは「自分の意思で選んだ」という感覚です。
世間基準で決めた選択には、あなたの納得や価値観が含まれていないですよね?
だからこそ、成功しても達成感が薄いうえに、失敗すると後悔だけ強く残ってしまうんです。
この状態が続くと、人生に対する手応えがなくなっていきます。
「頑張っているのに満たされない」
「間違っていないはずなのに納得できない」
こうした原因は、能力の問題ではありません。
現在にいたるまで、判断を外注し続けてきた代償です。
自分を救えるのは自分だけ

ここからは、きれいごと抜きで話していきます。
世間は、あなたが無難で、みんなと同じような人生を送ることを望んでいます。
なぜなら、そのほうが従順で“協調性”という名の檻に閉じ込めておけるからです。
その反対に、少しでも“普通”から外れると、手のひらを返すかのように批判してきます。
ですが、こうした批判はあなたを思ってのものではありません。
冷静に考えてみてください。
誰だって本当は、世間の目なんか気にせず自由に生きたいと望んでいますよね?
とはいえ、実行に移せる人はごくごくわずか。
そんななか、あなただけ世間の重圧をそっちのけに自由に生き始めたらどう思いますか?
ぶっちゃけたことを言うと、不快の極みなんですよね。
「俺もイヤイヤやってるんだから、お前も我慢してやれよ」
日本人は、このようないじわる精神が旺盛なので、おもしろく思わないわけです。
だから、あなたの選択を外野がいちいち批判してくるんですよ。
ただし、あなたが世間に迎合して疲弊した時は、誰も助けてはくれません。
- 責任はとらない
- 生活の保証もしない
- 批判の後始末もしない
いまいちど、あなたにお聞きします。
それでもなお、あなたは世間の目や批判を恐れて自分を押し殺しますか?
経験上言っておきますが、自分を押し殺して世間に迎合して残るのは、激しい憤りです。
「俺がこんな人生を送ってるのは〇〇のせいだ」
このように、自分の人生のケツをふけない大人になってしまうわけです。
僕もヒキニート時代に親によく言ってましたね。
「俺がこんな惨めな人生を送ってるのはお前のせいだ!!!」って。(黒歴史)
当然ですが、外野のせいにしてる限り、人生は前に進みません。
世間に怯え自分を押し殺すことは、価値どころか負の遺産しか生み出さないわけです。
批判する人間は大きく分けて2種類

あなたが行動しようとすると、必ず何かしらの批判は出てきます。
ただし、その批判は主に2つに分類されることを覚えておいてください。
一つは、自分が動かなかった理由を正当化したい人。
あなたが踏み出すことで、今までの選択が否定されたように感じてしまう人ですね。
もう一つは、実際にやってみて「そのやり方はやめるべき」と教えてくれる人。
この二つの批判を見分けられないと、すべての声が同じ重さに見えてしまいます。
批判って、どれも価値がないと思われがちですが、それは誤りです。
大切なのは、どの声を参考にするか、無視するかを選ぶことです。
とはいっても、イメージしにくいと思うので以下の基準を参考にすればOKです。
- 経験者の批判:耳を貸す価値大いにアリ
- 未経験者の批判:耳を貸す価値ナシ
一度も泳いだことがない人に、あなたの泳ぎ方を批判されたらどう思いますか?
「何言ってんだコイツ?」と思いますよね。
それと同じです。
あなたらしく生きることを全員に許可されたいですか?

最後に、一度だけ立ち止まって考えてみてください。
あなたは、自分らしく生きることを全員に認めてもらわないと動けないのでしょうか?
もしそうなら、その条件が満たされる日は一生来ません。
誰かにとって正しい生き方は、別の誰かにとっては不正解だからです。
そもそも、生き方に正解や不正解をつけること自体ナンセンスなんですが。
もしどうしても誰かに許可されたいなら、紙とペンを用意してください。
親、友人、教員、親戚、近所の人
上記の人たちに会いに行って、あなたの生き方を説明したあとに「許可のサインをください!」とお願いしてください。
それがイヤなら「俺の人生なんだからお前らに指図される言われはないよ」というマインドを持ってください。
あなたの人生に責任を持てるのは、外野ではなくあなた自身なのだから。
世間の目に怯えることは、人生の大損失

世間の目は、現実に存在するものではありません。
あなたの思考が作り出した幻です。
その幻に判断を委ねる限り、人生の選択はずっと他人基準になります。
もちろん、あなたが自分らしい人生を送ろうとすると必ず批判する人間が現れます。
ですが、批判してくる外野は、あなたの人生の責任をとろうとしません。
それなのに、判断を他人基準に預けるのは、あまりにも割が合わないじゃないですか。
どうせ誰かに批判される可能性が消えないのであれば、せめて自分が納得する選択をしたほうがよくないですか?
自分の人生を生きるとは、他の誰かに理解されることではありません。
人生の責任を自分で引き受ける覚悟をもつことです。
責任を持てれば、仮にうまくいかなくても納得できますからね。
世間の目は幻ですが、あなたの人生は現実です。
現実から目を逸らさない選択だけが、人生を「自分のもの」に戻してくれます。


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