こんにちは、寅吉です。
あられちゃん「勝ち組」「負け組」ってアホくさいよね?
本記事では、このような疑問を解決します。
- Fラン大学中退⇨フリーター⇨引きこもりを経験
- 自己理解を深め、他人軸から自分軸へシフト
- 自分らしく生きる方法を本質的に発信中
驚くことに「勝ち組」「負け組」って言葉を、いまだに使ってる人がいるんですよね。
正直、くだらないと思っています。
年収・肩書・フォロワー数。
そんな数字で人の価値を測るなんて、時代遅れどころか前時代の異物級ですね。
勝っても虚しく、負けても苦しい。
そのレースに、本当の意味なんてあるんでしょうか?
そして皮肉なことに、“勝ち組”の基準を信じるほど、人生は誰かのルールに縛られていくんですよね。
この記事では、「勝ち組・負け組」という発想のくだらなさを暴き、“自分の人生を取り戻す方法”を解き明かします。
なぜ「勝ち組・負け組」という考え方はくだらないのか


残念なことに、“勝ち負け”という発想は、今も多くの人の中に残っています。
でもそれは、時代に取り残された価値観なんです。
まずは、その浅さと構造を見ていきましょう。
「勝ち負け」で語る時点で浅い
「勝ち組・負け組」って、よく聞く言葉ですよね。
でもあれって、スポーツのノリで人生を語ってるだけなんですよ。
スポーツなら、勝ち負けがあるのは当然ですよね?
ルールがあって、審判がいて、得点が明確に決まる。
だからこそ、“勝った・負けた”に意味があるわけですよ。
でも人生には、ルールや審判なんて存在しません。
人それぞれゴールも違えば、走るコースも違いますよね。
それなのに、同じスタートラインから一斉に競争させようとする発想が、浅すぎるんですよ。
まるで、海の深さを定規で測ろうとするような発想ですね。
人生は、誰かと競って点数を取る競技ではありません。
納得してどう生きるかを問い続ける、いわば個人戦です。
自分の人生だけが前に進んでいる気がしない人は、以下の記事を参考にしてください。
「勝ち組」「負け組」は時代とメディアが作った幻想
「勝ち組・負け組」という言葉が広まったのは、バブル崩壊後の“就職氷河期”からです。
景気が冷え込み、求人が激減。
大企業に入れた人は“勝ち組”、非正規やフリーターになった人は“負け組”と呼ばれました。
でもそれは、努力の差ではなく、構造の差にすぎないんですよ。
運や時代背景で分かれた結果を「自己責任」として個人に押しつけたのが、この時代の恐ろしさです。
そこに、“マスゴミ”が飛びついたわけです。
- 勝ち組OL
- 負け犬世代
- 負け組サラリーマン
こんなバカらしい言葉を並べて、格差や対立を煽りまくる。
「勝ち負け」という二極構造は、視聴率を稼ぐための“格差エンタメ”だったんです。
やがて多くの人たちは、人の価値を「勝ち」か「負け」などと、はなくそ程度のものさしで測るようになったんです。
勝ち負けでしか測れないこと自体がくだらない
正直、“勝ち負け”で人生を語ってる人を見ると「時代に取り残されてるな」って思います。
あいつより俺は上か下か。
そんな比較でしか自分を測れないのは、自分軸を持っていない証拠です。
いまの時代に必要なのは「勝つ力」ではなく、変化に合わせて生き方を整える力です。
今のご時世、価値観も働き方も多様化しているのに「勝ち組・負け組」でしか世界を見れないのは、昭和の成功テンプレを引きずっている時代遅れさんです。
本当に強い人は、誰かと競っていません。
勝ち負けという舞台の外で、自分が納得できる生き方を淡々と積み重ねているんです。
勝ち組負け組はくだらないうえに自分を見失う


勝ち負けを基準にすると、人の心の在り方そのものを歪めてしまいます。
それは、“努力”や“成功”よりもずっと根深いところにあるんです。
ここでは、勝ち組負け組を盲信することのリスクを解説していきます。
承認欲求の使い道を間違えやすくなる
誤解されがちですが、承認欲求って悪いものじゃないんです。
マズローの欲求5段階説でも承認欲求は、人間の基本的な欲求のひとつとされています。
誰だって認められたいし、必要とされたいじゃないですか。
つまり、承認を求めること自体は、むしろ健全なんです。
でも問題は、そのエネルギーをどこに使うかなんですよね。
「すごいと思われたい」
「チヤホヤされたい」
そんな浅い競争に承認欲求を持ち出すと、一瞬は満たされてもすぐに虚しさが返ってきますよね。
本来、承認欲求って「誰かに勝つため」ではなく「自分を表現するため」に使うものなんですよ。
- 描きたい絵を描いて、人の反応より「自分の世界」を表したい
- 伝えたい想いを言葉にして発信したい
- 頑張った自分を認めて「ここまでやれた」と感じたい
どれも勝ち負けではなく、内側から生まれる承認です。
承認は外側に向けて競うほど苦しくなり、内側で表すほど心は自由になっていくんです。
つまり「勝ち組・負け組」とくだらない場所で消耗するのは、ナンセンス極まりない戦いなわけです。
勝ち負けで測るほど、不幸になる
勝ち負けで人生を測る人ほど、いつも疲れています。
なぜなら、“他人の物差し”を幸せの基準にしているから。
誰かより上なら安心で、下なら不安。
常に比較の中でしか、自分の立ち位置を確認できないわけです。
当然、その比較に終わりはありません。
たとえば、
- 同期が昇進しただけで、自分が取り残された気になる
- 友達の結婚報告を見るたび、心のどこかがざわつく
- SNSの「リア充」を見るたび、今の自分を否定したくなる
- 収入やフォロワー数を“勝ち負け”に変換してしまう
人と比べた瞬間に、心が不幸に書き換わっていくんです。
それが、勝ち負け思考のいちばん残酷なところです。
幸せって本来、“他人との距離”ではなくて、“自分との一致”で決まるものじゃないですか。
でも比較で生きる人は、他人との距離でしか自分の価値を測れないわけです。
なぜなら、幸せを“自分の内側”ではなく、“他人の評価”に預けているからです。
人を見下し始める
勝ち負けで生きる人が、最後にたどり着くのは“優越感”です。
自分より下を探して、安心しようとする。
でもそれって、実はいちばん貧しい生き方なんです。
最近よく見かける「筋トレしない男はザコ」みたいな発信も典型例ですね。
本当に筋トレが好きな人は、そんなこと言わないんですよ。
僕も筋トレをしていますが「男で鍛えてないのはオワコン」なんて1ミリも思いません。
本当に好きなら「筋トレはいぞ〜」と勧めればいいだけで、わざわざ誰かを攻撃する必要なんてないじゃないですか。
それなのに攻撃的になるのは、“優越感”が燃料になっている証拠なんですよね。
人を下げないと、自分の高さを保てない状態。
それがもう、心が「勝ち負け」に支配されている証なんですよ。
- 努力していない人を“意識が低い”と切り捨てる
- 稼いでない人を“怠け者”と決めつける
- 自分と違う価値観を“負け組”とラベリングする
本当に強い人は、誰かを見下したりしないんですよね。
しないというより、する必要がないんです。
勝ち負けという狭いフィールドを超えて、自分のペースで淡々と生きているので。
勝ち負けの外に出て自分のゲームを生きるには


勝ち負けの構造を抜け出すことは、逃げではありません。
むしろ、自分のルールを取り戻す尊い行為です。
ここからは「どう生きるか」を再構築する方法を紹介します。
勝つよりも納得して生きる
勝つことを目標にしているうちは、いつまでも他人の人生を生きることになります。
勝つには、必ず比べる相手が必要なので。
でも「納得して生きる」を基準に変えた瞬間、人生の方向がスッと自分の方に戻るんですよね。
- 年収よりも、心が落ち着く働き方を選ぶ
- 評価よりも、自分のペースを守る
- 周りにどう見られても、自分の心に従う
こうして、選択の理由を自分に戻していくと、勝ち負けの思考が少しずつどうでもよくなります。
「勝ち負けと納得ってどう違うの?」と思ったら、以下の考え方を参考にしてください。
- “勝つ”は、他人に支配される生き方
- “納得”は、自分に主導権を取り戻す生き方
勝負の世界から降りた人ほど、実は一番自由なんです。
詳しく納得ベースの人生を生きる方法を知りたい人は、以下の記事を参考にしてみてください。
他人の地図で生きる人生を手放して、自分の方向性を取り戻す方法
自分流の土俵をつくる
勝ち負けの世界から降りても、生き方の軸を失ったままでは意味がありません。
そこで必要なのが、自分流の土俵をつくることです。
- 大企業にいなくても、自由に働く道を選ぶ
- 昇進よりも、心がすり減らない働き方を大切にする
- フォロワー数より、自分の言葉に責任を持つ
なかには、こうした生き方を「逃げ」と呼ぶ人もいるでしょう。
でも本当の逃げとは、“自分の軸を持たずに、他人のレールを歩くこと”です。
社会のルールに従うのは悪いことではありません。
でも、自分の人生のルールまで他人や社会に任せると、自由は消えます。
“勝ち組”とか“負け組”という言葉は、結局他人の土俵でしか成立しないんですよね。
- 自分のルール
- 自分のペース
- 自分のストーリー
自分流の土俵が定まっていると、勝ち負けというくだらない概念そのものが消えます。
比較のない世界で生きる
勝ち負けを手放すと、最初に訪れるのは自由じゃなく“空白”です。
比べることで自分を保っていた人ほど、その静けさが怖く感じます。
でもその沈黙の中にしか、本当の自分はいないんですよ。
“比較”って、実は安心装置なんです。
上か下かで位置を決めれば、考えなくて済みますから。
比較という名の安全装置を外した瞬間に「じゃあ、自分はどうしたいの?」という問いと向き合うことになります。
その問いに真正面から向き合える人だけが、“他人の地図”を捨てて、“自分の地図”を描き始められるんです。
比較のない世界では、評価や正解も、競争もありません。
残るのは、自分の感覚と向き合う時間です。
ぶっちゃけ、自分と向かうことってめちゃくちゃ怖いです。
見たくない現実や、弱さと対峙することになるので。
でも恐怖と同時に、自分に対して誠実でいられるようになるんです。
自分の本音を大切にして、くだらない価値観で競う必要がない世界。
それが、“自分軸で生きる”ということです。
「自分軸ってなんか胡散臭いな…」と思った方は、以下の記事を参考にしてください。
勝ち組・負け組なんて、もうくだらない


「勝ち組・負け組」という言葉は、時代とメディアが作った“幻のゲーム”です。
その中でどれだけ頑張っても、結局は誰かのルールの上で踊らされるだけ。
- 勝ち続けようとする人ほど、他人の目に縛られ、心がすり減っていく。
- 負けたくない人ほど、自分を責め、動けなくなる。
どちらも、幸せとは無縁な生き方ですよね。
勝ち組だの負け組だのを、くだらないと思えるあなたは、自分軸で生きる第一歩を踏み出しています。
勝ち負けで生きることをやめることは、努力を放棄することではなく、自分の基準に戻るということです。
- 誰かの正解ではなく、自分の納得を選ぶ
- 他人の評価ではなく、自分の感覚を信じる
- 勝ち負けではなく、誇りを軸に生きる
「勝ち組・負け組」なんてくだらないと思える人こそが、本当の勝者なのかもしれません。











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